私が路地の家の購入する手続きを終えたとき、地上げ屋がやってきたときから数えて約4か月が経っていました。
私の日常は波風の立たない日々の繰り返しなので、この頃はたった4か月の間に色々起こりすぎて、燃え尽きておりましたorz
この当時、旧アパートに残っていたのは、私を含めて3名。
私と同年代のお向かいさんと90代の女性が残っていました。
私は引っ越し先が決まったし、お向かいさんは自分で何とでもできる人、となると心配なのは残る1名、後期高齢者の田中さん(仮名)です。
急アパートの住人は、1階2階が後期高齢者で、3階4階が20代から40代の社会人でした。
3階4階の住人の引越し先が、さっくり決まったのは意外ではありませんが、後期高齢者の引越し先があっさり決まったのは、私にとって予想外でしたね。
これは、地上げ屋以前にこのアパートを管理していた不動産屋さんの尽力の賜物のようです。
この不動産屋さんは自身も80代のじいちゃんでした。
地上げ屋がやってきて立ち退き問題が発生した時、1階2階の住人には引越し先を紹介するつもりだと言っていたのを有言実行したわけですわね。
残る1名の田中さんは、後期高齢者の中では最もしっかりしていた人です。
急アパートの住人は、町内会に入ることが義務付けられていたのですが、私たちは町内会費を払うだけで、その他の行事にはノータッチでした。
地蔵盆(京都市内ではかなりの重要行事)の手伝いなどは全て田中さんが担ってくれていました。
定年まで料亭で勤めていただけあって、コミュニケーション能力が高い女性だったのです。
私を含め勤め人の住人の多くは、出勤の際に毎日、彼女に「今日もお気張りやす!」と声をかけられていたので、それほど親しく話したことはなくても、彼女の引越し先が決まらないことは気になっていました。
なぜ、しっかりしている彼女の引越し先が決まらなかったのか?
その理由は、彼女がしっかりしていて地域との繋がりを持っている方だったためです。
他の高齢者は、地域の繋がりがないため、予算と広さが条件に合えば引っ越し先には拘らなかったのです。
ても、地域との繋がりがある田中さんは、旧アパートの近所から離れたくなかった。
元の管理会社のじいちゃんは、田中さんに何件か引越し先を紹介していたのですが、どこも旧アパートとはやや距離がある。
それほど遠くはないのですが、直通のバスがなかったので、婦人会や老人会のために頻繁に通うのはちょっと厳しい…
そのため田中さんは断っていました。
この事実は私にとって、身につませされる出来事でしたわ。
自分自身がしっかりしていれば、ずっと賃貸で一人暮らししていられると思っていたのに、そんな簡単なことではないのだと。
だからこそ、退去の時点で家を購入できなくても、最終的には購入しようと思ったのです。
自分の意思がしっかりあればこそ、譲れないことがある。
流されるままに生きるのが嫌だからこそ、障害が立ちふさがるのだと。